能登半島物語

能登半島沖地震が起きた後、BさんとCさんと僕と3人とで被災地である輪島にある全ての仮設住宅の集会所での演奏を聴いていただいた。

出来事はその数日間の演奏が終え、帰りの最中に起きた。
能登半島には七尾線という電車が走っていて、能登有料道路が出来てからというもの本数がうんと減ってしまい今では約1時間に1本といういわゆるローカル線だ。

僕は次の日もすぐに都内で演奏が入っており、すでに金沢から大宮までの在来特急券と新幹線の切符を買ってあった事もあり僕だけ車から七尾線の白尾駅で降ろしてもらった。
しばらくして時間になったのでホームのラインの内側に立った。すぐ後ろに背中に荷物を背負ったおばあさんがいた。
電車の扉が目の前に来ると全く開かないので「ははぁ。」と直感で左側のドアを引いた。動かない。
今度は右側のドアを引いてみた。動かない。考えて両方のドアを同時に引いてみた、それでもビクともしない。
さすがに上越線や飯田線でもない事だったのでかなり焦った。すると車掌はそんな事はおかまいなしとフエを吹いたのだ。
「ピー。」次の瞬間、ドアの右側にあるボタンが目に止まった。緑色のボタンを押すと様子が変わり手でドアを開く事が出来たので急いで飛び乗った。
すぐに後ろにいるおばあさんが気になったので振り返ったら必死になって杖を使ってカツカツと登ってきた。その直後すぐに閉まった。

あやうくおばあさんを更に1時間待たせてしまう所だった。

風車物語

新潟県名立、ここは日本海に面した静かな所である。
この日は昼に障害者の方々がいる名立園での演奏の後約6時間しか移動の時間を取っていない中、埼玉でのホームコンサートが控えていた。
日フィルのAさんと僕は先発隊として仏から来ていたBさん(演奏家)達より早くに名立園を後にした。
といっても約20分程度しか違わない間隔だった。
Aさんも僕もそれまでの約1週間の北陸での演奏と蒸し暑い日本海岸の気候でかなりバテていた。
この年も例年の夏と同様にかなり暑かった。とりあえず、汗も相当かいていたし、名立の海沿いにある健康ランドのような所で風呂につかる事にした。しかし、あくまで先発隊、20分程度しかいられないで、すぐに出発。
ところがBさん達が前を走っているのではという2人の勘が的中する事となる。
途中のパーキングを通過した際に見慣れた車を発見。とりあえず10分ぐらいは飛ばして、かかってくる位置確認の電話はことごとく無視した。
しばらくしてから、Bさん達の車に乗ってるCさんから「今どの辺り?」と聞かれたので、2つくらい先のパーキングを伝えた。「おや、あまり変わらないですね。」と言われた。汗
それから約5時間後、埼玉に着いたら「いやー精一杯飛ばしました」それにしても名立の健康ランドから見えた海沿いにクルクル回る風車が印象的だった。

« Back Page